澤田沢治の雑記帳

登場人物紹介

大仏鉄道を歩く6 2018年07月18日(水)

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 遺構の初めは、塀の隙間から見せて頂いた、明治30年(1897)の賀茂駅開業時に建てられたと言う、赤レンガ造りの「ランプ小屋」なのです。何かと言えば、明治時代の客車の照明には、灯油ランプが使われていたのです。其れを保管する所を「ランプ小屋」と称したのです。

 明治時代の末期ごろから、車軸発電機による電気照明が普及して、灯油ランプの利用は無く成ったのですけど、其の後も小屋は、灯油カンテラと燃料の収蔵に利用されたのです。まあ、危険物収納庫と言う事で、レンガ造りに成ったと言う訳なのです。

 そして、駅前広場には蒸気機関車の主動輪(「ハチロク」と愛称された8620形蒸気機関車に使用)が展示されていたのです。直径160cm、重さ約3トンと言う大きなものなのです。此れは、大正3年(1914)から製造されたものなので、賀茂駅開業当時のものでは無く、更に大仏鉄道が廃線に成った以後に登場するのですけどね。

 此処で其の主動輪をバックに全員で記念写真を撮ったのです。私は前列に座らせて頂いたのですけど、座ると言うより尻餅を突いたと言う方が正しいのです。そして、一度其のように座ると、立ち上がるのに随分と努力を要するように成ってしまったのです。足腰が弱って来ているようなのです。

 次に我々が向かったのは、駅から南西方向500mの所に在る「加茂小学校」横の貴婦人の愛称で知られる、C57 56と言うC57系の蒸気機関車の所なのです。昭和12年(1937)に生まれ、最盛期には、関西本線を始め、全国で200台ほども走っていたそうなのです。勿論、止まっているのですけど、中々の迫力だったのです。

 此処のは、昭和13年(1938)に川崎車両で製造されたものなのです。同型は、汽車製造、三菱重工業、日立製作所でも製造されていたのです。さて、次の「観音寺橋台」に向かったのですけど、途中で道標が有って「残念石 1.5km」なんて書いて有ったのです。

 其処は大野山の東斜面で、2〜4メートルの花崗岩の切石が点在しているのです。藤堂高虎によって切り出され、徳川氏の大坂城復興に用いられる事なく捨て置かれた、残念石と呼ばれるものなのです。さどかし残念だった事でしょうねえ。

 さて我々ご一行は、木津川の二次支川「一級河川赤田川(あかだがわ)」を渡ったのです。そして石部川沿いに歩いたのです。此の辺り、全く影が無いのです。でも、私にはハゲが有るのです。まあ、関係が無いのですけどね。

 そして、いよいよ「観音寺橋台」までやって来たのです。手前は関西本線の生きた線路なのです。其の向こうに廃線に成ったのですけど、残された橋台が有ったのです。此れが「観音寺橋台」なのです。此処で、向井さんが橋台に登ろうとしたのですけど、果たせなかったのです。そして、少し休憩をさせて頂いたのです。合掌。23286

(此れが初めの遺構、「賀茂駅ランプ小屋」なのです。)
 


大仏鉄道を歩く7 2018年07月18日(水)

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「はちろく」の主動輪前で撮った、雄姿12名の写った記念写真なのです。2018.07.16、京都府木津川市加茂町駅東2丁目
 


大仏鉄道を歩く8 2018年07月18日(水)

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「C57 56」なのです。2018.07.16、京都府木津川市賀茂町里西上田
 


大仏鉄道を歩く9 2018年07月18日(水)

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木津川市の「大仏鉄道遺構」の道標は充実していたのです。2018.07.16、京都府木津川市賀茂町
 


大仏鉄道を歩く10 2018年07月18日(水)

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手前が「観音寺橋台」で、向こう側の大和路快速が走る鉄橋が関西本線なのです。2018.07.16、京都府木津川市加茂町観音寺西山田
 


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