澤田沢治の雑記帳

登場人物紹介

「京街道を歩く」中書島・膳所6 2018年02月14日(水)

  143,207 byte

 「金札宮」の直ぐ西隣に「円通山 大国寺」が在るのです。真言宗東寺派のお寺で、空海(弘法大師)が開基だと伝えられ、最初は「長福寺」と称していたとか。元和元年(1615)伏見奉行山口駿河守は、薩摩藩主島津家久の命をうけ、此の寺を武運長久の祈願所に定め、名を「大国寺」と改めたのです。

 薩摩藩と縁の深いお寺なので、通称「薩摩寺」とも呼ばれているのです。だって、西郷隆盛が建てたという、有馬新七ら寺田屋殉難九烈氏の墓碑をはじめ、木曽川治水工事の犠牲となった、薩摩藩家老平田靱負(ひらたゆきえ)の墓なんてのも有るのです。

 我々はぞろぞろと横断歩道を渡り、伏見区下板橋町へと入って来たのです。そして「京都市立伏見板橋幼稚園」の前を通ったのです。あの、目の中に入れたら痛い「実治(さねはる)」も来年は幼稚園に入るのです。でも、其の幼稚園が満員で中々に入園が難しいとか。ひょっとすると、幼稚園浪人に成る可能性も有るのです。

 思わず「実治」が無精ひげを生やしているところを想像してしまったのです。幼稚園の隣には「伏見板橋小学校」が有り、其の西裏には「伏見中学校」も有ったのです。暫く行った丹波橋通りを右折し京阪丹波橋駅の方へと歩いたのです。

 我々は丹波橋通と両替町通の交差する所で暫く休憩をする事にしたのです。何かと言えば、「鉄っちゃん」が夜勤明けで、遅れて此の京阪丹波橋駅へ来るので合流するのです。「師匠」が「鉄っちゃん」をお迎えに行ったのです。

 結構、長い休憩時間と成ったのです。其れを見越した私は、蟹蒲鉾を肴に缶ビールを頂戴したのです。話せば長い話に成るのですけど、要するに「鉄っちゃん」と「師匠」が上手に出会え無かったのです。事情は長く成るので割愛するのですけど、話せば原稿用紙3枚分ぐらいには成るのです。

 我々は両替町通を北進し、近鉄京都線のガードを潜ったのです。そして、真斉公園前の歩道橋を渡って、国道24号線を越えたのです。狭い道を更に北へと歩くと、何やら石碑が有ったのです。でも、字が難しすぎて読めないのです。書き出しは「絶世の英雄豊太閤伏見城を・・」なんてのですわ。まあ、「橦木町遊郭」の事について書かれているようなのです。

 あっちこっちに石碑が建っていて、今度は「大石良雄 遊興之地 よろつや」なんてのが有ったのです。「良雄」は「諱(いみな)」で、通称は内蔵助(くらのすけ)なのです。そう、あの忠臣蔵の主役「大石内蔵助」の事なのです。まあ、此の辺りの茶屋で遊んだのでしょうけど、そんなんで石碑を建てるんですねえ。ほたら、「白塗り」やった、もっと沢山石碑を建てなければ成らないのです。合掌。22036

(此れが「円通山 大国寺」なのです。此の日は何かやってるらしく、幔幕が張って有ったのです。2018.02.12、
 


「京街道を歩く」中書島・膳所7 2018年02月14日(水)

  142,405 byte

我々が「鉄ちゃん」を待っていたコインパーキングなのです。此処で私は缶ビールを飲ませて頂いたのです。2018.02.12、京都市伏見区両替町11丁目
 


「京街道を歩く」中書島・膳所8 2018年02月14日(水)

  144,971 byte

ようやく出会えた「鉄ちゃん」なのです。2018.02.12、京都市伏見区両替町11丁目
 


「京街道を歩く」中書島・膳所9 2018年02月14日(水)

  145,108 byte

伏見城云々の文章が書かれた石碑なのです。2018.02.12、
京都市伏見区撞木町

京都市によると、

[南]
橦木町廓之碑 【篆額/「橦」字原碑ノママ】
絶世の英雄豊太閤伏見城を築くに及び伏見の殷賑は一躍して天下の中
枢となれり当遊郭は此殷賑時代の創設にかゝり慶長元年林又五郎なるもの 【「五」字「一」ノ誤カ】
伏見田町に遊郭を起したるを其前身とし伏見落城後幾くもなく廃滅に帰せしかば
渡辺掃部前原八右衛門の両名は時の伏見奉行長田喜兵衛芝山小兵衛に請ひ慶
長九年十二月二日富田信濃守邸址を開地して再興す花街の形状撞木に似
たるにより撞木町の名あり実に今を距る三百十四年の昔なり其後
幾盛衰を経たるが元禄宝永の頃は最も繁栄せしものゝ如く各書には都に近
く島原の流れを汲めるにより鄙びずと嘗て京都の公家衆の多数が屡々来遊せし
事をも載す殊に赤穂義士大石良雄が敵を欺く佯狂苦肉の一策として
当遊郭笹屋清左衛門方に遊興せることは人口に膾炙せられ義士の名と
ともに撞木町の名は天下に伝はり且義士が此処に復讐の謀議を凝らして
目的を達せるより後来当遊郭に於て謀議する時は何事も成就すべしとて
来遊する人々多しと云
大正七年十一月 高橋桃城誌
遊雲散士書
[北]
西島留■【吉カ】
世 高倉 稔
話 福岡音次郎
人 尾川平五郎
木村秀次郎
 


「京街道を歩く」中書島・膳所10 2018年02月14日(水)

  145,378 byte

「大石良雄 遊興之地 よろつや」と書かれていたのですけど、「よろづや」と書いて有る文献も有るのです。2018.02.12許都市伏見区撞木町
 


<< 2018年 2月 >>
- - - - 1




2




3




4




5




6




7




8




9




10




11




12




13




14




15




16




17




18




19




20




21




22




23




24




25




26




27




28




- - -
- - - - - - -

- Web Diary Professional ver 2.26 -