澤田沢治の雑記帳

登場人物紹介

「京街道を歩く」中書島・膳所1 2018年02月13日(火)

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 淀屋橋駅8:30発の出町柳行き特急で「中書島」に向かったのです。電車の中で、先ずは缶ビールを一本、恥ずかしそうに頂戴したのです。だって、酒飲みが揃っているのに、朝からは飲まないとか訳の分からない事を仰るのです。酒飲みに朝昼晩は無いのです。此れをウダウダと言う輩は、差別主義者なのです。

 9:07に無事、「中書島」に到着したのです。何で「中書島」呼ばれるように成ったかと言えば、桃山時代まで此の伏見港一帯は湿地帯だったのです。家康が政権を盗った後、幕府は伏見城を廃城としたので、此の辺りは荒廃したのです。

 其の後、高瀬川と言う運河が掘削されて其の河口として伏見一帯は水運における重要性を増して来たのです。其の後、遊郭が此の辺りに移転され、酒の名所でも有る事から、随分と栄えるように成ったのです。

 ああ、名前の由来を話し始めたのでしたねえ。伏見城時代に「脇坂中務少輔保治(わきさかたかつかさしょうゆうやすはる)」の邸宅が在ったと伝えられているのです。彼の官職名「中務(なかつかさ)」が中国風には「中書」と呼ばれていたので、此の四方を川で囲まれた島地を「中書島」と呼ぶように成ったのです。

 まあ、今は埋め立てが進んで、島と言う概念は余り無いのですけどね。ああ、こんな薀蓄を言っていたのでは、昼飯処、大谷に在る「かねよ」まで辿り着けないのです。そう、「かねよ」で鰻を食べるのです。創業明治5年(1872)、自ら「日本一のうなぎ 逢坂山かねよ」なんて仰ってるのです。

 「エロちゃん」が「缶ビール」をもって、「中書島駅」まで我々を見送りに来てくれたのです。そう、差し入れなのです。「エロちゃん」自身は所用が有るとかで、今回の「歩こう会」には不参加なのです。

 さて、我々が中書島から京街道を歩き出したのは9:19の事だったのです。ところが、駅近くの「伏見駿河屋 本店」で、いきなり買い物をする人々が居られたのです。言わずと知れた「きらくのおっさん」なのです。金剛山から下りて来ると、彼は必ず「おはぎの丹波屋」に立ち寄って、何やかやと買うのです。此の駿河屋、江戸後期に総本家から分家されたとか・・。

 其処から、少し歩くと「金札宮」と仰る神社が有ったのです。祭神は「天太玉命(あめのふとだまのみこと)〈白菊大明神〉」「天照大御神(あまてらすおおみのかみ)」「倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」の三柱なのです。

 創建は天平勝宝二年(750)、女帝・第46代「孝謙天皇が、「金札白菊大明神」の宸翰(しんかん、天皇直筆の文書)を贈り、里人が社殿を造営したことに始まると社伝には有るのです。伏見では一番古い神社なのです。合掌。38261

(家を出ると、直ぐ近くのマンションの植栽にうっすらと雪が積もっていたのです。道路上にもシャーベット状の雪が有って、滑り易かったのです。中書島が雪なら引き返そうと思っていたのです。2018.02.13、大阪市浪速区日本橋3-7)
 


「京街道を歩く」中書島・膳所2 2018年02月13日(火)

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「エロちゃん」が差し入れをくれて、我々を見送ってくれたのです。2018.02.13、「中書島駅」京都市伏見区葭島矢倉町59番地
 


「京街道を歩く」中書島・膳所3 2018年02月13日(火)

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駅構内で先ずは記念撮影をしたのです。此の時は17名だったのです。2018.02.13、中書島駅
 


「京街道を歩く」中書島・膳所4 2018年02月13日(火)

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「伏見駿河屋 本店」なのです。駅から僅か470mしか離れて無いのです。勿論、練り羊羹が売りなのです。2018.02.13、京都市伏見区下油掛町174
 


「京街道を歩く」中書島・膳所5 2018年02月13日(火)

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由緒ある「金札宮」なのです。伏見区役所の直ぐ北側で、中書島駅からは直線で北へ1000mの所なのです。2018.02.13、京都市伏見区鷹匠町八番地
 


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